2014年3月28日金曜日

サラリーマン生活からの転機

大手の通信インフラ会社(その頃は公社)に入った後、一年間、調布にある社内研修施設にて今は無用?の無線通信士免許の国家試験をありがたいことに給料をいただいて勉強させていただき、無事第一級無線通信士の免許を取得。千葉県の外れにある、太平洋を臨む醤油で有名な港町、銚子に配属された。初めて赴任する際、終点であるその街に近づくに連れて、ほのかに醤油の香がしたことを懐かしく思い出す。その頃短波無線通信局といえば、長崎と銚子の二つしかなく、通信会社内でも特異な存在だった。他の職場に比較してかなり待遇面でも優遇されていたように思う。12年程お世話になったが、いろんな体験をさせてもらい、物の見方や考え方の礎を築かせていただいたように思う。もちろんこの間も音楽は続けていたし、丁度エヴァンスの左手コードサウンドの妙に心酔した時期であった。1977年、バークリー音楽院サマースクールへの募集が大手旅行会社から企画された。仕事や音楽的な事で悩んでいたこともありすぐに応募。その当時費用としては100万ほどかかったように思うが一ヶ月間の休暇届出を出して参加した。これがその後の音楽人生へのひとつの転機となった。