2008年5月24日土曜日

父の事

昭和27年の冬、九州は火の国で生まれた私。父は駅前の小さな映画館を経営しており、とはいっても自分で立ち上げたわけではなく、祖父の命令のもと、わけのわからないままにまかせられていたといっていい。祖父は戦後のどさくさの中で財をなしたらしく、市内に数ヶ所映画館やバチンコ店を経営していた。後のデパート火災で大量の死者を出して有名になった某デパートは、祖父の兄が経営しており、父の弟が取締役として名を連ねていたことを思い出す。そんな環境のもとで育った父は、将来の跡継ぎとして可愛がられたようで、大学を出てまもなく、何の修行もしないまま映画館経営をまかされてしまった。それが原因かどうかは別として、小さい頃から体が弱く、喘息の持病をもっていた父は、26歳の若さで4歳の私と母を残して逝ってしまったのである。
悲しきかな父との思い出は葬式の思い出しか残っていない。一人っ子だったせいか大勢の人がいるのがうれしかったらしく、妙にはしゃいでいたのを思い出す。なぜか喪服姿の母の泣いている姿が子供心に美しく思え、そんな気持ちが複雑にからんだせいかもしれない。小さな子供だったとはいえ今思えばなんと残酷なことをしたのかと思う。 私にとってなんの思い出も残さず逝ってしまった父だが、彼がこの宇宙で生きていたという証が、今ここにこうした形で公開されていることを知ったらなんと思うだろう。ましてや彼のDNAが4人の孫に引き継がれたことなど知る由もない。びっくりする父の顔を想像することさえできない自分がもどかしい。

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